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  • こんにちは、森本愛です。パリのパティスリー「Sebastien Gaudard セバスチャン・ゴダール」でセバスチャンのアシスタントとして仕事をしています。アシスタントといってもお菓子を作るパティシエではなく、広報、マーケティング、イベントやコラボレーション企画のプロジェクト管理などを主な仕事としています。フランス人が愛して止まない「パティスリー」の表舞台と裏舞台の両方に関わる日々は、発見と驚きの連続。この連載で皆さんと少しでも共有できたら幸せです。
                                 森本愛

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 移動祝祭日 ”Paris est une fete”  vol.5 「お菓子の名前ではない『ル・カストレ』」

セーヌ川に反射する陽射しがいつの間にか和らいで、パリの秋が今年も静かに訪れたようです。夏のバカンスから戻ったパリジャン&パリジェンヌが小麦色に日焼けした肌を得意そうにちらつかせる中、少し遅めの夏休みをいただいて2週間南仏へと旅立ちました。パリから南へTGVで3時間。訪れた場所は人口4000人にも満たない小さなコートダジュールの村『ル・カストレ』といいます。今回は、まるでお菓子の名前みたいなこの村、ル・カストレを知ることになったきっかけの映画『La femme du boulanger(パン屋の女)』と、そのパン屋のバゲットを朝食にいただけるシャンブル・ドットで出会ったコンフィチュール(ジャム)のお話です。

コートダジュールの海岸から車で15分ほど緩やかな丘道を上ると、城壁で囲まれた村ル・カストレに到着します。天空の鷲の巣村といったところでしょうか。城壁の周囲は一面のワイン畑、オリーブと無花果の木々。その先に、地中海のブルーが光っています。耳を澄ますと1時間おきに時を告げる教会の鐘の音がのどかに村中に響いてなんとも長閑。城壁内へ車は入れませんので、村中の生活の音が自然に聞こえてくるようです。夏のバカンスをこのル・カストレで過ごしませんか、という誘いをいただいた時、迷いなくOuiと答えたのはこの村がお菓子のような名前をしていたからではなくて、以前観たマルセル・パニョルの仏映画『La femme du bouranger(パン屋の女)』の舞台だったこの村を実際に見てみたかったから。パニョル初期の作品で全編モノクロ、フランスでは1938年に公開されました。(残念ながら日本非公開)

カフェ・ド・マゴ ストーリーは次の通り。ル・カストレの村にあるパン職人とその妻がパン屋を開きます。パン職人は働き者で、美しい奥さんを心から愛しています。けれどある日妻は羊飼いと恋に落ち消息不明に。ショックのあまりパンを作る気力を失ったパン職人を心配した村人たち、皆で妻探しに躍起になるのです。そして、最後にようやく戻ってきた妻を、このパン職人は一言も責めることなく受け入れ、何事も無かったようにパン工房で焼きたてのパンを二人で分かち合います。実際は何事も無かった訳ではなくて、彼も傷つき、悲しい思いをしたのですが、その思いを妻に投げつけるようなことはなく、静かに二人でパンを分け合うのです。そこへ数日間姿を消していた飼い猫がひょっこり工房に姿を現します。それを目にしたパン職人、今戻ってきたばかりの猫にこう話しかけます。『もう二度といなくなるなよ。心配するからな、けれど、もしもまた出て行きたかったら、其のときはもう二度と戻ってくるんじゃないぞ・・・』と。妻の額に一筋の涙が流れ落ち、エンディング。

映画の中で、パン職人の大きな手は、焼きたてのパンのようにフクヨカで村人の胃袋を満たしてゆきます。実際には満たされるのは村人だけではなくて、画面のこちらの私たちの心も。ル・カストレの村人たちの思いやりや、パン職人の愛とユーモアに触れて、温かな気持ちにさせられるのでした。実際、村に到着して感激、映画で見たパン屋さんは今も健在です。映画のタイトルそのまま『La femme du boulanger』という看板で。しっかり焼かれたバゲットやクロワッサン、目を見張る種類のビスケットたちに加え、ヌガーやカリソン、ハチミツボンボンなど南仏を代表するコンフィズリーも充実しています。お店の入り口には大きな実をつけた無花果の木が一本。この村で何度か目にする無花果の木。こんなに身近で美しく淡いグリーンの実を目にしたのは何年ぶりでしょうか。

宿泊先はこの丘の上の小さな村に40年暮らすエリザベスさんが営むシャンブル・ドット。彼女が用意してくださる朝食は、『La femme du boulanger』の焼きたてのクロワッサンに加え、バゲットに合わせる自家製のコンフィチュールを選ぶことから始まります。コンフィチュール(Confiture)はフランス語でジャムのこと。無花果、アプリコット、ルバーブ、イチゴ、フランボワーズにブラックベリー・・・、ズッキーニとミントなんて組み合わせはジャムを長年作り続けている人にしか思いつかないアイディアでしょう。迷わず無花果を選んだのは、ル・カストレの村のあちこちで目にする無花果の木の美しさにすっかり心を奪われたから。一口いただいて、彼女のコンフィチュールが趣味の範囲を超えた、深い味わいを持った作品だと感じ入り、思わずお話を伺わせてほしいとリクエストしたのでした。

お話を伺うと開口一番、『ル・カストレの暮らしが大好き、この場所で大地の恵みを一瓶一瓶封印してゆくジャム作りの作業は、私の生活の切り離せない一部』と、エリザベスさん。現在64歳。結婚を機に移り住んだル・カストレで40年変わらず続けているコンフィチュール作り、その始まりはまだ幼かった二人の子どもの朝食に季節の色を加えたかったからだそうです。作り方を伺うと、果物を一旦短時間で煮詰め、其の日一晩寝かし、翌日もう一度弱火で煮詰めるとか。なぜ一晩寝かせるか?『理由を考えたことはないけれど、寝かせてあげたほうが、果物が急ぐことなくゆっくり本来の味を浸透させてゆく気がする』と。どうやら、この『急がない行程』に美味しさの秘密がありそうです。

彼女の暮らしのリズムと同様、急がない暮らしから生まれる彼女のコンフィチュール、スプーンで掬い取るとなめらかでゆっくりとろりとしたたる感じ。果物の味はたっぷりと生かされ、ただ甘いだけの市販のものとは数段に違う味わいです。コンフィチュールのうまみは、果物に本来含まれるペクチンのはたらきで生まれるとろみや煮詰める行程で欠かせない砂糖の分量、その砂糖から引き出される果物の水分、はたまた煮詰める際の鍋の大きさや火加減、と、さまざまな要素が決め手になります。エリザベスさんのコンフィチュールは、その全てのバランスがさりげなくよい、気負いのない感じなのです。

フランスでは本来コンフィチュールは、季節の果物の美味しさを、寒い冬が来ても楽しめるように、との思いで作られるようになった保存食です。春のイチゴ、夏のアプリコット、秋の無花果、ミラベル、プルーン…。それらの果物が存分に吸い込んだ太陽が、天候の悪いフランスの冬の食卓に爽やかな力を注いでくれ、それはまさに、大地の恵みの力。昔から地下の保存庫でワインやジャムをはじめ、さまざまな食べ物を保存していました。この習慣は現在でもフランスの家庭で引き継がれています。生のフルーツとは違う、濃厚なうまみや香りがコンフィチュールの瓶には詰まっていて、加えて、作り手である、おばあちゃんやおじいちゃん、お母さんやはたまたお父さんの愛も同様に、そうなんです。フランスの家庭では男性がコンフィチュール作りをすることも珍しくありません。

どうやっていただくか?ごくシンプルにトーストした(あるいは焼き立てならそのまま)バゲットに塗る、フロマージュブランに添える、プラム系なら肉料理に添えて、無花果味ならもちろんフォアグラがベストマッチ、山羊のチーズにはどのフレーバーを添えてもOK...etc.

今回の夏のバカンスは偶然の賜物。冒頭の映画を見終わった時の温かな気持ちがこの村に私を連れて来てくれました。そしてそこで出会った小さな一瓶の幸せ。

ジャムを作ってみませんか?

イラスト
Iveta Karpathyova
ILLUSTRATION & CREATIVE SERVICES
www.ivetaka.com

 

 パティスリー「セバスチャン・ゴダール」

Patisserie des Martyrs - Sebastien Gaudard -
パティスリー・デ・マルティール - セバスチャン・ゴダール -

セバスチャン・ゴダールが2011年にオープンした初の路面店。場所は美食通りとして名高いパリ9区のマルティール通り。コンセプトはフランス菓子の伝統を伝えること。斬新さやデザイン性を追及するのではなく、誰もが記憶に留めているフランスの古き良きクラッシック・パティスリーの奥深さを追求。ショーウィンドーを飾るのはパリ・ブレストからサントノレといった伝統パティスリーに加えて、クロワッサン等のヴィノワズリー類、ボンボン・ショコラ、アイスクリーム、昔ながらの飴類、お茶類など、コンフィズリーも充実。さらに、パティスリーに合わせて楽しめるシャンパンやワイン、リキュールなど、アルコール類も豊富に取り揃えている。
Patisserie des Martyrs -Sebastien Gaudard-
22, Rue des Martyrs 75009 Paris
Tel : 01 71 18 24 70
www.sebastiengaudard.com 

Sebastien Gaudard セバスチャン・ゴダール
1970年ロワール地方生まれ。『FAUCHON(フォーション)』のシェフ・パティシエを務めた後、老舗高級百貨店『Le Bon Marche(ボン・マルシェ)』にサロン・ド・テ『Delicabar(デリカバー)』をオープン。
時代をリードする存在として注目される。2011年自身の名を掲げた路面店『Patisserie des Martyrs - Sebastien Gaudard-』をオープン。
2012年 Guide Pudloが選ぶ『トップシェフパティシエ』受賞
著書
『Agitateur de gout』 2006年 (Hachette出版)
『Le Meilleur des Desserts』 2009年 (Hachette出版)

  • サンシュルピス広場

    パティスリーの店内

  • セバスチャン・ゴダール

    セバスチャン・ゴダール氏  

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