同級生と巡る モン・サン・ミッシェル、ブルゴーニュとパリ10日間 

2007年6月2日~11日  千葉県/中島 和子様      旅行の日程表はこちら

2007年6月2日
とうとうシャルル・ド・ゴール空港に到着!入国カードとパスポートを持って入国審査へ。日本人ばかりだし、流れに乗っていけば簡単だった。スーツケースを受け取ると出口で安藤さんが待っていてくれた。「初めての方がいらっしゃるから」と、クリニャンクールの蚤の市→ブローニュの森→凱旋門→コンコルド広場やオペラ座と車窓案内してくれた。そして、ホテル到着。
ポン・ヌフからセーヌ川遊覧船に乗った。9時に出航し、10時帰港前にはエッフェル塔の点滅がとても綺麗!暮れていくパリの夜景に灯りが灯り夜の始まり、風に吹かれてポン・ヌフを渡り、又メトロでホテルに帰っていった。

ルレサンミッシェル 6月3日
今日から2日間は安藤さんの運転する専用車でモン・サン・ミッシェルへの小旅行。
12:00ジベルニーからオンフルールに向かって、上天気の中をミニバスは走っていく。オンフルールのヨットハーバーで昼食。あの日と同じ、水面にヨットが映りゆれている。しかし、ここでランチをしようとは、あの日の私達には夢にも想像できなかった。
木造教会へ行った。みんなでお灯明を挙げて、旅の安全を祈った。
15:40 ノルマンディーのニース、ドーヴィルに寄る。
夕食は、ホテルのレストランで。遮るもののない窓の向こうに、夕暮れのモン・サン・ミッシェル!地ビールをかたむけ、華やかにディナーを。

6月4日
昨日の夕方、車窓から美しくも幻のようなモン・サン・ミッシェルのシルエットを見た。そして、ライトアップ。想いよ永遠~~
8:30 モン・サン・ミッシェルの開門に合わせてホテルを出発。グランドリューの郵便局からエア・メールを出した。(安藤さんがランス大聖堂の天使の切手を買ってくれた。)木々の間の額縁モン・サン・ミッシェルを写真に収め、一路パリへの道程を開始した。
14:35 昼食のレストランは『オニオンスープ』と今や私たちの間では伝説の『魚のスープ』。そして私は気付かなかったけれど、「私達、かなり見られてたわよ。オンフルールでも。」食事がこんな風であった事は、かつて一度もなかった。
しかし、個人旅行ならいつでもこんな風なのか?ツアーデスクさんだからなのか?それにしても今回の旅行は、なんと素晴らしい出会いの繰り返し!まず、エスプリ・ド・パリ社の安藤さん。出すぎず引きすぎず、絶妙な間合い。それになにより、最終の「旅のしおり」が来たとき。皆一安心したと思う。行く先々の24時間対応の連絡先、誰も言葉がしゃべれないグループだから本当にありがたかった。
昼食の後、道が混んでいる様で、少し押しているのがわかった。考えてみれば、安藤さんという人は決してせかしたり、そんな風を見せたりせず、気持ちに余裕を持って行動できた。素晴らしいシャルトル・ブルー、来られてよかった。そして、夕風の中を、再びの無い私達のために、写真スポットに寄って記念写真を撮った。昼食が遅めだったので、ジェラール・ミュロ(ウフ、ココに来てみたかったんだ。)で、夕食を買い、大急ぎで食べ、着替えてリドへ。
リド。ガイドブック通り、舞台仕掛けが大掛かりで楽しめた。しかし、時代が変わっていくのか、前より若いダンサーがいない??キャバレーの華やかさにかける?!舞台の様でもあった。元気なおばさん達「ライトアップ・スポットに寄りながら返っていただけませんか」

ボーヌの民宿 6月5日
9:30 安藤さんのお迎えを受けて、リヨン駅へ。安藤さんはTGVの座席のそばまで送ってくれた。
「あの人がそうよ。きっと。」リヨン駅から安藤さんが、ちゃんと何号車か連絡してくれて、下車付近に若い女性と運転手さんが待っていた。本当に至れり尽くせり。彼女の名前は伊勢まゆみさん。
ソミュール・アン・オーソワへ。激しい雨、車に避難。車中で待っていても同じだから…と、「嵐のドライブ」となり小さな町を回り、雨が上がったら大急ぎで街歩き。
その後、フランス人のご夫婦が経営するシャンブルドットへ。マダム・ファビエンヌは日本語も流暢で、夕食前に可愛いアラン君を紹介された。そして、私はファビエンヌさんに野口五郎のライブパンフレットとCDと海苔をお土産に手渡した。その瞬間、彼女の顔がパッと輝いて、ご主人に「ノグチゴロー!!」と。海苔はアラン君の大好物だったらしく、「アランな~んだ?」ニッコリみたいな。本当に持って行って良かったわ。 

ホスピス・ド・ボーヌ 6月6日
6:15 ピックアップ。朝食は焼きたてパンだった。それと、手造りジャムや果物も美味しく頂いて、皆元気いっぱい、期待いっぱいで出発した。強風で、もう飛び立たんばかりまで準備されていたのに、気球はNG。本当に残念そう、皆もツアーの人達も。で、明日の朝もう一度チャレンジという事になった。
ボーヌの町へ。昼食に『エスカルゴ』を食べた。美味しい食事をたらふく食べ、かつてこんなに楽しい食事はなかった。個人旅行だよね!やっぱり!!
ワインツアーへはボーヌ観光局で勤務していた藤井さんが一緒に行ってくださった。彼女がいなかったら、運転手さんもさぞ困ったことでしょうね。言葉の全く分からない日本人客ばかりで。多分私たちのようなワイン関係で無い日本人、ましてこんなグループはボーヌには来ないのか、相当珍しかったよう。なんにしても彼女に出会えてよかった。本当に助かった。この旅は、すばらしい人との出会いの連続。
窓の外は9時でも明るい。ダイニングの入り口には葡萄の木がよく似合っていた。美しい夜、楽しいディナー、何もかも素晴らしい思いでとなった。

6月7日
もう一度気球にチャレンジ。外は霧が…。やっぱり霧で断念となった。。それから直ぐ、運転手さんが早めにお迎えに来てくれることになり、火曜日は休館だった美術館やマスタードの店に行くことになった。しかし、ツアーデスクさんとの契約では、今日のアシスタントさんは駅のみだったから、一昨日美術館のお願いをした時も、ここまで来たんだものと、追加料金の覚悟をしていた。いつも外国はシビアと考えていたので。今回のように融通が利くのには、こちらのほうがビックリです。
駅でサンドイッチ、サラダや水を買いこんで、TGVの人となった。さようなら愛しのブルゴーニュ。とてもとても素敵な小旅行だった。私には二度と再びはないと思われるときと空間だった。ビバ、ブルゴーニュ!

パッサージュ 6月8日
ルーブル美術館へ。昼食後、私たちはパッサージュ巡りをした。ヴォージュ広場で、昨日松本さんが飲んでいたミント入りペリエを飲んでみた。とても美味しかった。惣菜屋さんに寄ったり、ポールに寄ったり、八百屋さんの店先でサクランボとフランボワーズのパックを買ったりして、メトロに乗りChaussee d'Antin La Fayetteで下車。少し時間があったから、ラファイエットに行って、アールヌーボの吹き抜けを見た。美しい!見たことも無いほどそれは美しい風景だった。
着替えてオペラ座へ。大階段で写真を撮ったまではよかった。しかし、この演目は…日本人としては不快。いまだにヨーロッパでは中国と日本を区別出来ないらしい。しかも、途中でガタガタ出て行く観客までいた。やっと終わって、ヤレヤレ。忘れてるよ!!シャガールの天井画。しっかり見てから係員に出されて、ホテルに戻った。

トリアノン 6月9日
ヴァンブの蚤の市に行った。あんまり大きな市ではないということでしたが、私たちにはちょうどいい感じで、皆それぞれに楽しんだようです。
そして、トラムに乗ったり、郊外電車に乗ったりしてヴェルサイユに到着。入り口近くのカフェ・ヴェルサイユはクリムトの絵が壁に装飾されていて雰囲気も良かった。まだ、昼食時間少し前で、空いてもいたし、ゆっくり楽しく食べられた。松本さんのブログには、私たちとのヴェルサイユ行きも含めて本当にまめにアップされている。私もお礼だけは書き込めた。次回はもっとゆっくり、じっくり、パリを楽しんでくださいと書かれてしまった。本当に、今回やれるだけのことはやれたけど、もっとゆっくり過ごすべきだったと思う。

6月10日
最後の朝食。いつものおじさんが給仕してくれた。もうお別れだね。朝のコーヒー、クロワッサン、ヨーグルト、ハム、ナツメ、プルーン。
8:40 モンマルトルの丘へ。人気の無い、それでいて人の気配を感じさせる小路と小階段をそぞろ歩いた。日曜日のノートルダム寺院では、ミサの真っ只中。パイプオルガンが鳴り渡る中を、美しい北のバラ窓、シュリー橋からバックシャンのノートルダム寺院で最後の記念写真を撮った。左手遥か彼方にはエッフェル塔が小さく見えた。少し早いけどランチ。まだ空いているシャルティエで、最後のランチを心ゆくまで堪能した。
シャンゼリゼを車で移動し、凱旋門前で3人降車。小1時間の別行動。エトワール万歳!登れてよかった。夏の日の私達3人の永遠の思い出!エッフェル塔組みも最上スポットでのんびり楽しむことができたようです。
30年前のオランジュリーは、自然光だったのかしら?淡い空気に包まれて、睡蓮に降り注ぐ光の中、モネが望んだ光の中に私達はいる。遠い昔モネが見ていた遥かな日本。柳は風にそよぎ、これはいつの季節なのか?私達が見たのは、軽やかな風の中、6月の光の中のジベルニー。ゆったりとくつろぐモネの部屋に、別れの携帯ベルが鳴る。

ヨーロッパは遠い。いつか又その日が来るまで…。こんな日の事もいつかは、赤ワインの澱が沈殿するように優しい思い出になる日は来るだろう。

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