Joさんの旅情報

イランからのリポート

2007年2月13日


その昔はペルシャと呼ばれた現在のイランは、カスピ海、イラク、トルコ、アフガニスタン、パキスタンやペルシャ湾に囲まれた中東に近い西アジアに位置し世界遺産の宝庫です。
 日本のほぼ4、5倍の広い国土を持ち、その半分は高い山々と土漠と砂漠が占めています。

 驚くことに首都テヘランは、雪に覆われた4000m級の峰々が連なるアルボルズ山脈の麓に広がる高地の都です。イランの人口は日本のほぼ半分の6500万人で民族的にはアーリア人で、宗教はほとんどがイスラム教シーア派です。もちろんお酒、豚肉はご法度で、ワインやトンカツなどどこにもありません。石油、天然ガスはいずれも世界三位の埋蔵量を誇り、その資源の豊富さ故にイギリスやロシアの資源政略に翻弄させられてきました。

パーレビ時代に石油国有化、原油高騰で都会生活が豊かになり過ぎ、欧米化された生活習慣は贅を是としないイスラム宗教界と地方の反発を買い1979年イラン革命が起こります。ホメイニの奨めるイスラム回帰政治は経済の停滞を招き、現在のイランの人々はそんなシャーの時代を懐かしがっている様にも見えます。イスラム社会を守る名目で、イランイラク戦争で敵対したイラクに莫大な援助を続けたり、ロシアに原子力開発費を先25年分前払いしたり、民に目を向けない宗教政治などもうたくさんだという声がとても印象的でした。

イスラム教という宗教は私達日本人にはどうも理解しにくいものです。決まって一日何回もメッカの方角を向いてお祈りをしたり、女性は顔まで隠す黒い服を着たり、羊は良くて豚がダメで・・・ど~も理解できませんでした。

マレーシア、モロッコ、トルコなどではあまり感じなかったものを、リビア、カタールやこのイランを旅してイスラム教が日々の生活に根づいている事に驚きを感じました。これは宗教というよりも、生まれてから人生を終えるまでの間、片時も忘れてはならない生き方の教え、教義みたいなものではないかと私は思っています。毎日コーランを詠んでお祈りをし、年に一度決められた期間断食をする。生きてる間にメッカにお参りをする。長短混ぜ合わせて良く出来てるナァと思ってしまいます。

ところが、宗教が政治をやるとなると、これはなかなかうまくいかない様です。イランは共和制とはいえ、宗教界のおおよそで決めた数人の大統領候補の中から国民投票で選ばれるそうで、本来の共和制選挙とはだいぶ違う様です。はるか東にある、のほほん国の自民党総裁選=総理大臣とよく似ています。現在のアハマデネジャド大統領の地元人気は、珍しくCNNの報道と同じで最低な様です。

イランをぐるり旅して感じたこと三つ。
一つ、イランには「ペルセポリス遺跡」と「エスファハアンのエマーム広場」という必見の世界遺産があります。昔、ホテルが取れなくて困った人気のそのいずれの名所も、今訪れる観光客はイランの国内旅行客だけで外国人ツーリストを見掛ける事はありませんでした。リビアもそうであったように、欧米の報道によって見事なまでに観光制裁を加えることが可能なんだと感心してしまいました。

二つ、日本語で語りかけてくるイランの人の多いこと、学生らしき若い人たちが日本に興味を持って積極的に話かけてくれます。「日本人ですか?」、「何処を訪ねますか?」、「イランをどう思いますか?」等々、私を含めた昔の日本の若者が、京都等を旅してる外国人に必死で英語で話かけている姿がダブリました。また、日本で働いた経験のある男性が懐かしい日本語を使いたく語りかけてきて、なぜかみんな千葉に住んで働いていたと・・。イラン革命の後仕事が無く、ビザで優遇されていた日本へどれだけ多くのイランの若者が働きに行ったことかが良く理解できました。

その三、イランからアフガニスタンにかけたエリアが世界二大美女産地のひとつとは聞いておりましたが、その話に間違いない事をイランの地で確信しました。本当にホントです。旧ユーゴスラビアを越えてました。


Jo
 


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